表紙の一枚(過去掲載分) 

トップページに掲載している「表紙の一枚」。歴代の「一枚」をまとめてご紹介します。


 
伊藤博文 1000円
Bank of Japan 1000 Yen 
昭和38年(1963)発行

長かった冬がようやく終わり、待ちに待った春がやって来ました。各地で桜の開花が伝えられています。

桜は菊と並びわが国の国花で、国民に広く愛されている花です。明治以降のわが国の紙幣・硬貨には何度もモチーフとして描かれてきました。伊藤博文が描かれたC千円券には、2つの国花がバランスよく配置されたお洒落な意匠となっています。30年以上前の紙幣ですが、重厚な模様が殆ど無く、桜の花が紙幣の輪郭を縁どる開放的なデザインが今尚魅力的です。この券種は大量に現存し、未使用でも安価で容易に入手することができるため、希少性はありませんが、伊藤博文公の肖像彫刻の良さも手伝って私のお気に入りの一枚となっています。
 
 

リビア カダフィ大佐 1ディナール券

Libya 1 dinar

2004年発行

 

ご来館者のみなさん、こんにちは。

このごろ、あっというまに秋めいて来ましたね。

今夜は、アフリカの国、リビアの1ディナール券をご紹介します。

表の肖像はこの国の最高指導者だったカダフィ大佐です。

これまで、いくつもの紙幣を観てきましたが、頬杖をついてしかめっつらのポーズで肖像が描かれているのは

この紙幣以外、見たことがありません。ものすごいインパクトです。

そもそも、一国のトップなのに階級が「大佐」だったり、もともと話の種に困らない方だったりしますが。

そんなカダフィ大佐ですが、今年のリビア内戦により国のトップの地位を追われてしまいました。

今、リビアの実権を握っているリビア国民評議会は、早々に高額券種(50ディナール)をカダフィ大佐の

肖像画を消したものに改刷すると発表しており、その他の額面でも同氏とつながりの深い図案については

姿を消していくのかもしれません。

リビアの統治体制の良し悪し、というものは専門家ではないのでよくわかりませんが、

こうやってコレクションした紙幣のモチーフが、現在進行形のニュースによって、

その地位や形を変えていく、というのはとても興味深く、私の好奇心を惹いてやみません。

2011年10月02日 19:01


スリランカ シギリヤ遺跡 2,000ルピー券

Sri lanka 2,000 Rupees

2005年11月2日発行

 

ご来館者のみなさん、こんにちは。

久々の更新になります。諸事情で一年以上、トップページを更新できなくて本当にごめんなさい。

再開一枚目は、スリランカの2,000ルピー券をご紹介します。

表裏とも世界遺産「シギリヤ遺跡」にちなむものとなっており、表は遺跡の外観、裏面は遺跡内に描かれた仏教壁画です。

同遺跡は、マグマが固まってできた巨大な岩頸に、5世紀頃、当時の王・カッシャバが築いた宮殿跡です。

このカッシャバ王というのが、いわくつきの人物なんです。

国王の長男として生まれたのに、兄弟に王位継承権を奪われるのを恐れて父王を殺害してしまいます。

自身の安全の為、攻め込みにくいシーギリヤに都市をつくり、都を移しました。

しかし、結局兄弟と戦をした挙句、敗れてしまいカッシャバ王は自害してしまいました。

都としてのシーギリアも11年という短期間で打ち捨てられ、1300年以上そのままになっていました。

この「諸行無常」という言葉がぴったりな経緯、醜い人間関係と美しい仏教美術が同居しているギャップがたまりません。

デザインとしては、遺跡の外観と祭事用の道具、古代風の文様を散らした構成が素晴らしく、個人的にお気に入りの一枚です。

スリランカへ旅行へ行く機会があれば、この紙幣を持って遺跡に登ってみたいな、と思います。

 

2011年8月21日 (日) 19:47


日本 大国主命 1円

The Bank of Japan 1Yen

日本銀行兌換銀券 1円

明治18年(1885)発行

 

100年以上前に発行された1円札です。我が国の中央銀行である日本銀行が設立されて最初期に発行されたシリーズの一枚です。

110年以上前に発行されたにも関わらず、法的には現在でも「1円」として有効です。

(ただし、骨董品として売却することで得られる価値のほうが圧倒的に高いので、1円の支払のために使う人は事実上いません。)

 

券面には「日本銀行兌換銀券」と表記されています。兌換銀券とは、額面分の銀貨との交換が保証された紙幣ということです。

しかも、わざわざ当時の1円銀貨のイラストが券面中央に描かれ、等価値であることを強調する念の入れようです。

なぜ、このようなデザインになったのか。それには当時の我が国が置かれた経済情勢が関係しています。

 

明治維新以降、新しい通貨単位「円」が誕生し、それから日銀設立までの間、我が国では政府紙幣、民間発行の国立銀行券、

それに金・銀・銅貨が発行されていました。

しかし、西南戦争の軍事費捻出のために政府紙幣と国立銀行券を乱発したところ、激しいインフレーションが起こりました。

当時は、紙幣を発券銀行に持っていけばいつでも額面の金貨と交換してもらうことができる、という信用の元に紙幣が流通していたのですが、

短期間で大量の紙幣が発行されたために、交換のために備蓄された金貨と発行済み紙幣のバランスが崩れました。

そのため、通常ならば1円銀貨と1円紙幣は額面どおり1:1で交換されるべきなのに、紙幣の信用が下がったため両者の価値が乖離し

明治14年には、1円銀貨を手に入れるのに1円80銭分の紙幣を差し出さなければいけない(※1)という末期的な状態に陥りました。

 

この失敗を教訓に、「政府からカネを発行する権利を取り上げ、ちゃんと正貨準備(交換用の金銀貨)の裏打ちがある紙幣を、

独立した機関に発行させないといかん」という話になり、日本銀行が設立されました。

政府からの独立性を示すためか、券面には当時の政府発行の債券・硬貨・郵便切手等にかならずデザインされていた菊花紋章が見当たりません。

このほか、偽造防止のために、券面全体に大きく透かしが入れられ、当時の技術では複製が困難だった浅葱色(あさぎいろ)で印刷し、

さらにマイクロ文字を採用するなど、日本銀行最初の銀行券シリーズにふさわしい、先進的で凝った対策が取られています。

 

ところが、紙幣を温泉地に持ち込むとインクと硫黄が反応して浅葱色の印刷が黒色に変色する、用紙の強度を上げるため原料に混ぜた

コンニャクのせいで紙魚やらネズミにかじられる被害が頻発する、といった予想外の欠陥が明らかになりました。

結果、この紙幣は約4年という短期間で姿を消してしまいました。

 

参考文献

※1)日本貨幣収集辞典(原点社・2005年)


ドイツ(ワイマール) ヘルツ造幣局長 10億マルク

1923年9月発行

世界史の教科書で、「紙くずとなった紙幣の束を積み上げて遊ぶ子供たち」の写真をご覧になったことはありますか?第一次世界大戦に敗れたドイツは極端な物資不足と、戦勝国に課せられた巨額の賠償金によって経済が破綻し、猛烈なインフレに襲われました。写真はちょうどその頃の紙幣です。1922年12月に「1000マルク」券として製造されましたが、その後もインフレが収まらず23年9月、券面に「Eine milliarde Mark(10億マルク)」と加刷して発行されました。額面だけは天文学的な金額ですが、発行当時の1米ドル=98,860,000マルク(wikipediaより)だったことを考えると、約10ドルの価値しかなかったことになります。(しかもその後もインフレは進行し、通貨の価値は暴落し続けました)

23年11月に新紙幣「レンテンマルク」が発行され、旧1兆マルク=1レンテンマルクとするデノミが行われました。こうしてドイツのインフレは収束を迎えます。この紙幣も文字通り「紙くず」と化しました。こうした経緯から80年前の紙幣であるにもかかわらず、1枚1000円程度でコレクターの間では売買されています。


金 1/4オンス (カナダ カエデの葉 10ドル 地金型金貨)

Gold 1/4OZ

2007年銘

 貨幣資料館では、これまで世界各国の様々な種類の紙幣と硬貨を紹介してきました。それらは、基本的に発行国の経済的信用に裏打ちされて発行されてはいるものの、突き詰めて考えていくと「ただの紙」と「金属片」に過ぎません。(逆に言うと、「ただの紙」がみんなの間で交換手段として認められ、何の疑いもなく流通している現在の経済システムの凄さが分かります)

 一方、時代も国境も超えて「お金」と認められている特異な存在があります。それが貴金属の「金(きん)」です。それこそ、2700年前にお金が誕生した時からその素材として使用されてきました。戦前までは、紙幣は中央銀行が保有する金の裏付けが無いと発行できませんでした(金本位制)。戦中・戦後に不換紙幣が出回るようになった後、各国通貨と金とのつながりは直接的ではなくなりました。戦後、世界の基軸通貨となったアメリカ・ドルは、アメリカの国力に対する信用とともに、唯一の金との兌換を保証された通貨としての立場を認められ、世界中に広まることとなります。

つまり、2700年前から1971年のアメリカ・ドルと金との兌換停止(ニクソン・ショック)まで、金は世界中の「通貨」に対する信用の裏付けをしていたわけです。現在の管理通貨制度下においては、通貨の信用を裏付けるという金の役目は名実ともに無くなってしまいました。しかし、現在でも世界各国の中央銀行は大量の金地金を備蓄していますし、個人の間でもインフレ対策用投資対象として非常に人気があります。

画像は、カナダが発行している、地金型金貨です。「メイプルリーフ金貨」などと呼ばれ親しまれています。地金型金貨とは、主に貴金属としての「金」を小口で投資するために造られたもので、「収集用金貨」とは区別されます。10ドルと額面が入っていますが、「金」の地金としての価値がこれを大きく上回っており、名目的なものに過ぎません。(平成21年7月18日現在の10カナダドル=836円、実勢販売価格=約25,000円)

ちなみに、我が国の1円アルミ貨とほぼ同じ大きさです。実際にこのコインを買い物に使うとしたら、小さい割りに高額すぎるし、本当に金地金で出来ているのかいちいち確認しなければならないし、不便きわまりありません。

 

※この記事は、貨幣資料館が閲覧者の方に金地金への投資を推奨するものでは一切ありません。「地金型金貨」は原則的には当館の収集対象ではありませんが、貨幣の歴史と金との係わり合いを説明するため、参考資料として購入しています。


ジンバブエ チレンバの平衡石 100兆ドル

Zimbabwe 100,000,000,000,000 Dollars

平成21年1月16日 発行(2009)

平成21年2月 流通停止(2009)

 ジンバブエの100兆ドル券です。(誤植ではありません)

 冗談みたいな額面ですが、今年の1月に発行されたばかりの新紙幣です。ジンバブエでは、国内経済の疲弊により非常に激しいインフレが起きており、毎月のように新紙幣が発行され、数年に一度のペースでデノミネーションが行われていました。この紙幣の場合、発行された2週間後にデノミネーションが行われ、1ヵ月後にはジンバブエ・ドル自体の流通が停止したため、瞬く間に通貨としての役割を終えました。2月以降は、「外国通貨」であるアメリカ・ドルと南アフリカ・ランドが政府公認の下流通しており、それによって物価の上昇が止まった、と伝えられています。

 偽造防止対策は光学的変色インクとマイクロ文字、表裏すり合わせ模様が採用されています。凹版印刷と透かしは省略されています。平成21年4月現在、貨幣収集家間では1枚=3米ドル程度(約300円)と、天文学的な「額面」に比べ手軽な値段で売買されています。


地方自治法施行60年記念 500円バイカラークラッド貨

平成20年12月10日発行

日本で初めてのバイカラークラッド貨幣です。バイカラークラッド貨とは、2つの異なる金属を組み合わせ(=バイカラー)、さらに中央部分をサンドイッチ状に2種類の金属を挟んでつくった(=クラッド)圧延版から製造された貨幣の意味です。周囲はニッケル黄銅の黄色、内側が白銅の銀色になっています。海外ではバイカラークラッド貨は珍しいものではなく、ヨーロッパでは1ユーロ、2ユーロ硬貨の素材として使用されています。

デザインは北海道は北海道庁、島根県は銅鐸、京都府は源氏物語絵巻・・・というように、各道府県とゆかりの深い題材が採用されています。表面に限れば、これまで発行されてきた記念貨幣と比較しても、洗練された良いデザインとなっています。さらに郵便事業株式会社と連携して、貨幣の題材にちなんだ特殊切手も発行されます。

全47都道府県分を8年越しで発行し続ける異例尽くめの企画ですが、果たして地方の活性化、貨幣収集人口の掘り起こしに繋がるか、注目されます。


イギリス ブリタニア像 10ポンド券とベルンハルト作戦

1942年から1945年頃

今でこそ、10ポンドは1,700円程度(平成20年10月11日現在)の価値しかありませんが、この紙幣が発行された1937年当時には、平均的なイギリス人労働者の給料2週間分の価値がある、高額紙幣でした。裏面には何も印刷されておらず、小切手のように自分の名前と住所を裏書する仕組みになっています。用紙全体に大きく透かしが入っており、「BANK OF ENGLAND」「10」「TEN」などの文字が読み取れます。左上には、イギリスを象徴するブリアニア像が描かれています。この他にも様々な「罠」が採用されており、偽札防止に効果を挙げていました。細部の変更はありましたが、1807年以降140年以上もこのデザインの紙幣が発行され続けていたことを考えると、シンプルな外観に反していかに偽造が困難だったかを偲ぶことができます。

ところが、1940年代にイギリスは偽造ポンド紙幣の氾濫に直面することになります。透かしが入れられ、ブリタニア像も本物と瓜二つ、用紙も本物そっくりで、顕微鏡で観察しないと違いがわからないという代物でした。このような紙幣が896万枚、1億3,200万ポンド分も製造されました。実際に流通したのはその一部とはいえ、大量の精巧な偽札が流通したため、当時の国際通貨だったポンドの信用は大きく失墜しました。

製造したのは、当時イギリスと交戦状態にあったナチス・ドイツです。戦闘ではなく偽札の氾濫でイギリス経済を破綻させ、戦争の勝者とならんとする作戦「ベルンjハルト作戦」によって造られた偽札です。責任者のベルンハルト・クルーガーSS大尉の名前から作戦名が取られました。クルーガーは、ユダヤ人強制収容所に収容されていたユダヤ人から人材を選抜し、戦時中の強制収容所内という限られた条件下で精巧な偽造紙幣を造ることに成功しました。

これは、その896万枚のうちの一枚、「ベルンハルト札」と呼ばれている超精巧な偽造紙幣です。ナチス・ドイツは1945年に滅びましたが、「ベルンハルト札」は終戦後もイングランド銀行とポンドの信用を毀損し続け、与えられた任務を遂行しました。

参考文献:「ヒトラー・マネー」ローレンス・マルキン著・徳川家広訳 講談社 2008年


中国香港 第29回オリンピック競技大会記念 20ドル券

平成20年(2008)7月発行

開幕を控えた北京オリンピックを記念して、中国、香港、澳門からそれぞれ記念紙幣が発行されました。香港版は、表に中国銀行(香港)本店ビルと北京オリンピックシンボルマークを配し、裏面には「鳥の巣」とも呼ばれる北京国家体育場が大きく描かれています。

中国語でオリンピックは「奧林匹克運動會」と表記します。カタカナがない分、漢字の発音で「当て字」をしているわけです。「北京五輪」のように略して表記するときには「北京奧運」となります。開催前は、聖火リレーに対する全世界的な妨害活動や四川省大地震が立て続けにおき、円滑な運営がなされるのか心配された北京オリンピックですが、8月24日無事閉幕しました。


日伯交流年・移住100年記念 500円

平成20年(2008)6月18日発行

明治41年(1908)6月、我が国からの移住者781名を乗せた船「笠戸丸」がブラジル・サントス港に到着してから今年で100年を迎えます。これを記念して、今年は日伯(日本・ブラジル)交流年として、さまざまな記念イベントが開催されています。

硬貨には、表にブラジルの国土と100年前に日本人移住者を運んだ「笠戸丸」を、裏面には両国のシンボルである、サクラとコーヒーの実を配しています。当初、デザインが公開された際には、表面が「日本移民ブラジル上陸記念碑」を描いたものになる予定でした。しかし、発行間際になって、著作権上の問題が生じたため急遽デザインが差し替えられました。刻印された笠戸丸の船体を良く見てみると非常に小さな文字で「KASATO MARU 丸 戸 笠」と表示されています。笠戸丸は1988年にブラジルが発行した日本人移住80年記念切手のデザインにも採用されています。

裏面の「500」には潜像が隠されており、傾け方によっては「JAPAN」と「BRASIL」の頭文字である「J」と「B」が現れる仕様になっています。


イギリス 紋章の盾 新硬貨

2008年発行

イギリスは、普段使用されている硬貨のデザインを刷新しました。そして、1ペンスから50ペンスの券種を集めて並べると、一枚の「盾」が現れるという奇想天外な発想はコイン収集家のみならず、世界中を驚かせることになりました。この盾はイギリス国章に描かれている盾であり、四つに仕切られた3頭の獅子、1頭の獅子、竪琴の紋章は、それぞれ英王室、スコットランド、アイルランドを象徴しています。(3頭の獅子のみ2面を使用)

この盾は、これまでにも度々イギリス硬貨のデザインとして採用されているほか、英国造幣局の紋章の一部にもなっています。


ドイツ クララ・シューマン 100マルク

1996年2月1日 発行

2002年1月 通用停止(ユーロ導入のため)

音楽家のクララ・シューマンを描いた100マルク券です。券面には、彼女の肖像のほか、ピアノ、音叉等が描かれ「音楽尽くし」のデザインとなっています。偽造防止対策もきちんとしており、ホログラム、窓開きスレッド、パール印刷、潜像、黄色の○などが搭載されています。美しいクララの肖像が大きく描かれ、券面に張りを与えています。

ユーロ誕生前は世界三大通貨の一つに数えられた、ドイツマルクが欧州で最も強い信用力を誇っていました。そのため、ドイツ国外でも紛争などで従来使用していた通貨が不安定になったところ、もしくは何らかの理由で使用したくない地域では、他国の通貨であるドイツマルクが使用されたことがあります。一例としては、コソボ紛争の際のコソボ自治州(現・セルビア共和国・ただし、国連コソボ暫定行政ミッション管理下にある)が挙げられます。

2002年のユーロ導入と引き換えに、この紙幣は通用停止となりました。但し、無価値になったわけではなく、ドイツ連邦銀行に持ち込めばユーロと交換することが可能です。


いわゆる「AA券」(画像の紙幣は、野口英世1000円券)

紙幣収集家の間で、「AA券」(エイ・エイけん)と呼ばれている紙幣があります。紙幣にはシリアルナンバーが印字されていますが、そのうち、始めと終わりのアルファベットが共に「A」がひとつづつあるもののことをいいます。なにゆえ、収集家の間で人気があるかと申しますと、このアルファベットがついている紙幣は、「最も最初に製造された90万枚の紙幣の中の一枚」であるからです。なかなか理解しがたい価値観ではあると思いますが、古書でいうと「初版本」に価値があったり、鉄道でいえば、「新規開業路線の一番列車に乗り込む」ことに価値が見出されるようなものです。「A000001A」の紙幣は日本銀行貨幣資料館に、「A000002A」は野口英世記念館(福島県)に保存されています。画像の紙幣は、6万336枚目に製造された紙幣ということになります。ちなみに、「AA060336A」というように始めのアルファベットが二桁のAAになっているものは、ずっと後に製造されたもので「AA券」ではありません。

平成16年(2004年)の新紙幣発行直後は、インターネットオークションに「AA券」が大量に出品され、額面の1.5倍から3倍程度の価格で取引されていました。(それだけの対価を払ってどうしても手に入れなければならないものかどうかは、個々人の価値観による為なんとも言えません。)上の紙幣は、管理人が買い物した時にもらった「お釣り」の中に混じっていました。ところどころ折り目がついております。


和気清麻呂 兌換券10円

昭和5年5月21日(1931) 発行

昭和21年3月2日(1946) 廃止

大きさ 81mmx142mm

和気清麻呂(733-799)を描いた10円紙幣です。第二次世界大戦前の日本では、長い間10円紙幣の顔として親しまれてきました。1300年前、天皇家の地位を脅かす者が現れたとき、その企てを暴き、天皇家を守りました。その功績を称え紙幣の肖像に選ばれています。裏面には、彼を祭神として祀る護王神社の拝殿(京都市)が描かれています。この神社には、彼をイノシシが護衛したという伝説に基づき、「狛猪」の石像が境内に置かれています。


カナダ ウィルフライド・ローリアー 5ドル

2002年3月27日発行

カナダは、英語とフランス語が公用語になっています。そのため、カナダ銀行(発券銀行)の表記は、公平に「Bank of Canada」と「Banque du Canada」と二ヶ国語でされています。さらに、他の券種では英語表記と仏語表記の順序が逆になっています。二つの公用語を公平に扱うことにカナダが配慮している様が伺えます。

ウィルフライド・ローリアー(Sir Wilfrid Laurier/1841-1919)は、フランス系カナダ人初の大統領です。背景の建築物は国会議事堂で、現行シリーズの紙幣には様々な角度からながめた国会議事堂が描かれています。表面右上には、エンボス加工で点字が埋め込むく風がされています。裏面には、アイスホッケー等雪遊びをする子どもたちが描かれており、非常にかわいらしいデザインになっております。

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表紙の一枚

オランダ王国 幾何学模様 10ギルダー

The Netherlands 10gulden

1997年7月1日発行

ユーロ採用により、通用停止

 オランダ(当資料館初登場)が発行していた10ギルダー券です。描かれているのは幾何学的な模様のみという斬新な意匠が特徴的です。外国紙幣収集に興味のない日本人にこれを渡しても、本物のお金だとはすぐには信じてもらえないかもしれません。オランダは常にその時々で最先端の紙幣デザインを採用していたことで有名です。1960年代からは肖像の人物をマンガのキャラクターのような単純な線で描いたデザインを採用していました。70年代からは人物そのものを描かず、ひまわり、鳥、灯台を大胆な構図で描いたデザインを採用しました。90年代からは具象的なデザインすら描かれなくなり、上の画像のような幾何学模様で埋め尽くされたデザインになりました。偽造防止対策も多数搭載されています。カラーコピー防止のためのアルミ箔、券面全体に押されたエンボス、厚く盛られた凹版インク、写実的なカワセミの透かしなどです。また、裏面にはシリアル番号とともにバーコードが印刷されています。残念なことに、2002年のユーロ導入と共に姿を消しました。

オランダ 幾何学模様 10ギルダー

 

表紙の一枚

アメリカ合衆国 リンカーン 5ドル

2003年版

 アメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンを描いた5ドル紙幣です。日本円でいうと大体500円くらいに相当します。彼による「奴隷解放宣言」や「人民の人民による人民のための政治」という名言は、太平洋を隔てた我が国に於いても良く知られています。米国では航空母艦に彼の名前を命名したり、山の岩肌に彼の顔を模した巨大な石像が彫刻されるなど、尊敬の対象となっているようです。裏面には、「リンカーン記念堂」の姿が彫刻されています。

 紙幣の特徴としては、偽造防止対策として安全線(セキュリティ・スレッド)、マイクロ文字、リンカーンの肖像を描いたすかしが採用されています。ただ、すかしは我が国のものと比較すると、相当に貧弱なものです。私には、残念ながらリンカーンには見えませんでした。

 リンカーンは人の心を惹き付ける魅力を持っていたといいます。そんな彼もまた、人の子でありました。若い頃は、人のあら探しをしたり、相手をあざ笑った手紙や詩や手紙を書き、しかもそれをわざわざ人目につくように道端に落としておくという「愚行」に及んだこともあったそうです。そのような振る舞いが他人から反感を買うことになるのは当たり前で、しまいにはやりこめようとした相手から決闘を申し込まれてしまいます。

 結局、決闘は寸前で回避できました。さすがのリンカーンもこれには肝を冷やしたようです。それ以降は、どんなことがあっても人を非難するようなことをしなくなったとされています。こうした人間関係における苦い経験は、後に米国大統領になった際、的確な判断するための助けとなりました。ここに、リンカーンの偉大さを垣間見ることが出来ます。

参考文献

インターネット百科事典「ウィキペディア」による「リンカーン」の検索結果

デール・カーネギー「人を動かす」創元社 2003年

(人を動かす 新装版をAmazon.co.jpを通じて購入できます! )

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リンカーン5ドル紙幣(旧式)

 

表紙の一枚

カンボジア 「日本橋」1000リエル

1999年発行

 「日本橋」と名づけられた、の建設風景を描いた、1000リエル券です。この事業も我が国のODAによって、実行されました。橋脚の建設には、日本人技術者が関わりカンボジア人の作業員とともに建設しました。その様子はNHKの人気番組「プロジェクトX」において2週連続で取り上げられ(第44回  「戦場にかける橋」 〜カンボジア・技術者と兵士の闘い〜 /第45回  「嵐(あらし)の海上輸送作戦」 〜戦場にかけろ 日本橋〜)、裏面デザインが番組の最後に紹介されました。

外国の通貨になったODA(外務省)

カンボジア王国(外務省)

プロジェクトX(NHK)

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表紙の一枚

カンボジア 「きずな橋」500リエル

2002年発行

 当資料館で、カンボジア王国の紙幣をご紹介するのは、今回が初めてです。カンボジアは東南アジアに位置します。タイ王国、ベトナムとはお隣同士というところに位置しています。1000年ほど前、繁栄を誇っていた時期があり、そのころ「アンコール=ワット」に代表される壮麗な仏教寺院が建造されました。近代になると、カンボジアはフランスの保護領となりましたが、1953年に独立しました。ところが、内戦が勃発し政情が安定することはありませんでした。ポルポト政権下では自国民の大量虐殺という悲劇を経験することになります。

 その後、1991年にパリ和平協定が締結され、1993年には国連監視下での選挙が実施されました。我が国が初めてPKO活動に参加した画期的な出来事でもあり、ご記憶されている方も居られるのではないでしょうか。その後は政情も徐々に安定し、平成11年(1999)には東南アジア諸国連合(ASEAN)への加盟も果たしました。

 この紙幣に描かれている「きずな橋」は、幹線道路としてメコン川の両岸を結んでいます。この橋は、我が国の政府開発援助(ODA)によって建設されました。

外国の通貨になったODA(外務省)

カンボジア王国(外務省)

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高橋是清 50円

日本銀行券 B50円券

昭和26年12月1日 発行

68mm x 144mm

 高橋是清を描いた、50円札です。未発行に終わったものを除き、実際に発行された唯一の50円札です。その上、たったの4年で50円ニッケル貨と交代したため、流通量と残存数が極めて少なくなっています。同時期に発行されていた板垣退助の100円札(未使用)が200円も出せば購入できるのに対し、この紙幣(未使用)は4000円程度と額面の80倍ものプレミアムがついています。もし、お手元にこの紙幣があるなら、大切になさった方がよいでしょう。

 紙幣が風変わりなら、肖像の人物も風変わりです。高橋是清は、日本銀行総裁、大蔵大臣、内閣総理大臣と政府・中央銀行の要職を歴任した人物です。このような要職に就くのは、人生を順風満帆に生きてきたエリートと思われがちですが、是清の場合はこれに当てはまりません。

 是清が、ずば抜けた才能を持っていた人物であることは間違いありません。ただ、仙台藩留学生としてアメリカに留学した際、アメリカ人に騙されて奴隷にされたり、「ペルーに良い銀山がある」という儲け話にひっかかり、一文無しになったり、友達の借金を抱えて三味線持ちの手伝いをしたりと、随分波乱の人生を送られたようです。

 ただ、いかなる状況に置いても、現実に正面から向き合い、一生懸命に取り組んだ是清の姿勢は、彼の半生を助け、我が国に多大な功績を残しました。

 昭和11年に発生した二・二六事件の際、反乱軍兵士により是清は暗殺されてしまいます。その波乱の人生に幕を下ろしました。

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表紙の一枚

唐 開元通寶 

発行年

 唐朝が発行した銭貨です。日本最初の貨幣「和同開珎」を発行するとき、この銭を手本にしたといわれています。大きさは10円玉ほどです。かつては、薄くて丈夫な銭貨を鋳造するのは難しい技術でした。1400年前にこれだけの銭貨を大量供給できた、唐王朝の力を垣間見ることが出来ます。

 裏面上部には、他の銭貨には見られない一本線が入っています。これは「楊貴妃の爪跡」とされています。造幣局を視察に訪れた楊貴妃が作成中の銭貨の金型に触れた際、爪の跡が残ったのだという「伝説」に基づくものです。 

 和同開珎を発行した日本では、最初銭貨の使用が浸透せず、我が国は一旦銭貨の鋳造をやめてしまいます。しかし、その後ようやく貨幣経済が根付き、銭貨の需要が高まりました。しかし、鋳造設備はとうに廃棄した後だったため、日本の歴代政権は大陸の王朝と貿易を行い、代金として手にした銭を我が国に持ち込んで流通させることにしました。これが「渡来銭」と呼ばれるものです。平安時代後期から江戸時代が始まるまでの600年間、大陸の王朝が発行した多種多様の銭が日本に輸入され、使用されました。江戸時代になると、ようやく幕府自ら銭と金銀貨を供給するようになりました。こうして、我が国において渡来銭はその役割を終えました。

 

 

表紙の一枚 2004年9月20日

板垣退助 100円

昭和28年12月1日(1953) 発行

現行

 板垣退助を描いた、百円券です。聖徳太子を描いた、4次100円券の後継として製造されました。しかし、使用される頻度が多いため消耗が激しく、寿命が短いことが問題になりました。(現代の1000円券のような存在とお考え下さい。)昭和32年(1957)にはより丈夫で長持ちする鳳凰100円銀貨に取って代わられてしまいました。こうして明治18年(1885)以来、高額銀行券として君臨し続けた額面「100円」は銀行券から姿を消しました。但し、印刷局の仕事確保を確保するという観点に加え、未だ「銀行券」としての100円券が国民から必要とされていた時期でもあったため、銀貨と平行してこの100円券も製造され続けました。現存している枚数も相当な数に上るため、未使用券でも200円程度で手に入れることが出来ます。

 板垣退助は、明治初期の政治家です。自由民権運動を先導し、帝国議会(現国会)設立のために尽力しました。国会議事堂内には彼の銅像が飾られています。100円券の肖像としては板垣のほかに、大久保利通なども候補に挙がっていました。しかし、裏面の国会議事堂の意匠と明治初期における、議会に対する大久保のスタンスに違和感があることから、運動推進派の板垣に内定したといわれています。

 ちなみに、板垣退助の肖像の真下にある円形の装飾模様には細工が仕込んであります。細部が異なる4種類のパターンが存在し、それぞれの模様から印刷工場を推測できるとされています。

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表紙の一枚

ニュージーランド ケイト・シェパード 10ドル

発行 1999年

 ニュージーランドの10ドル「紙幣」です。実はこのお札、紙ではなくてポリマープラスチックという素材で出来ています。製造は、プラスチック紙幣先進国のオーストラリアです。プラスチック製の為、水に濡らしてもビクともしません。カラーコピーやパソコンを用いた安易な偽造にも強みを発揮します。二箇所の窓(左下・葉の部分と右・楕円部分)は透明で、向こう側が透けて見えます。表面が滑らかなため、凹版印刷の「ノリ」が良いです。日本と異なり、紙幣の扱いが粗い地域では、紙よりもプラスチックの方が、長持ちしたというところもあります。ささやかながら、エリザベス2世女王陛下の「すかし」まで入れられています。使用済みとなり、回収された紙幣は、オーストラリアの砂漠に持ち込み、埋蔵されるそうです。

 一見、いいことづくめのような「プラスチック紙幣」ですが、実用化から15年足らずと歴史が浅いことや、ありふれた素材であるプラスチックを使用したため、本格的な偽造にどれだけ耐えうるかなど、課題も存在します。問題点を克服しながら、プラスチック幣がどのように普及していくのか、今後の動きが注目されます。

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表紙の一枚

日本 靖國神社 50銭

昭和17年 発行(但し、収蔵品の印刷は18年) 

昭和23年 廃止 

 靖国神社を描いた50銭紙幣です。参道に聳える大鳥居と神門が意匠として採用されています。日本銀行券ではなく、政府が発行した「政府紙幣」です。現代の日本では発行されていませんが、戦前はコインの代わりに少額面の政府紙幣が発行されていました。

 靖国神社は、戊辰戦争で斃れた方々をお祀りするために、明治天皇のご命令により創建されました。当初、「東京招魂社」という名前が付けられていましたが、明治12年に「靖国神社」に改称されます。その後、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた方々を祀る神社になりました。東京都心にありますが、緑が豊かな境内は厳かな雰囲気に包まれています。鳥居や拝殿のほかに、「遊蹴館」という資料館が併設されており、明治以来の日本史を振り返ることが出来ます。

 戦後、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の紙幣と郵便切手から、国家神道を象徴したり、旧領土を題材とした意匠を、削除するように日本に命令しました。そのため、この紙幣は昭和23年を以って廃止されました。

靖国神社ウェブサイト

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表紙の一枚

日本 国会議事堂 10円

昭和21年発行 現行

 国会議事堂を描いた、10円札です。「戦時色を一掃し、文化的な香りが漂う銀行券を提供する」との目的で、はじめて銀行券のデザインに民間印刷会社の提出した案が採用されました。もともと、このデザインは「新1000円札」として企画されており、「議事堂」の部分には仏教の守護神である「伐折羅大将像」が描かれていました。ところが、デザイン案をGHQ(連合国軍総司令部・戦後日本を占領統治していた機関)に提出したところ、「伐折羅大将像の表情が怒りを表している。占領軍に対する日本国民の怒りをあおるもので、適切でない」とされ、デザイン案はボツになりました。そこで、「伐折羅大将像」を議事堂に入れ替えて、「新10円札」のデザインにすることにしました。ところが、そのデザインがまたしても問題となりました。

 この紙幣が流通しだすと、(1)紙幣のデザインが、「米 国」と読める(後に、国会で問題に)、(2)皇室ゆかりの「菊の御紋」が十字架と鎖で繋がれているように見える、(3)国会議事堂そのものが、丸みを帯びた「十字架」の中にあり、占領下の日本をイメージしている、(4)議事堂の階段のあたりに、戦艦のような陰が見える。これは米国に沈められた戦艦大和である。(5)左半分の「拾」と「10」を囲んだ丸い模様は、広島と長崎を壊滅させた、原子爆弾が炸裂する瞬間を描いたものである・・・など、さまざまな噂がまことしやかにささやかれるようになりました。

 多くは、根も葉もない噂に過ぎません。ただ、そうした妙な「疑い」がかかることは一国の銀行券として望ましいことではないため、デザイン選考の段階でより慎重な判断が必要だったのではないか、と思います。

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表紙の一枚

スイス ル・ゴルビジェ 10フラン 

 建築家として名高い、ル・ゴルビジェを描いたスイスの10フランです。私はよく存じていなかったのですが、知人との話を通じてとても有名な方だと知り驚きました。彼がデザインした家具には高価な値段がつくようです。

 紙幣の研究という視点から見ても、スイスの紙幣は注目に値します。コンピュータと機械を使用して彫刻したゴルビジェの肖像、表のホログラムと裏の窓開きスレッド、視聴覚障害者用厚盛りインク、潜像、発光インキ、メタリックインキ、パールインキ、すかし、マイクロ文字・・・と世界最先端のあらゆる偽造防止技術が採用されています。10フランは、日本円で900円程度の価値しかありませんが、日本の1000円紙幣、アメリカの10ドル紙幣などと比較しても、飛びぬけて「偽造に抵抗力のある」紙幣ということが出来ます。加えて、先進国の紙幣の中で珍しい縦型で斬新なデザインが人々の目を惹いています。

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韓国 栗谷 李珥 5000ウォン

SOUTH KOREA 5000 Won 1983年発行 現行

 韓国銀行券の5000ウォン札です。韓国の通貨「ウォン」は丁度「円」の10分の1(原稿執筆時)なので、海外旅行のとき、「計算がしやすい」と思われた方も居られる事でしょう。デザインとサイズも、日本の5000円札にそっくりです。

 栗谷 李珥(ユルゴッ イイ)は、李氏朝鮮時代の政治家・学者です。豊臣秀吉の文禄の役(1592)を予測し、軍備の増強を説いたとされ、韓国で尊敬されています。「鶴」をデザイン化した模様や「硯」が配され、東洋らしいデザインとなっています。ほかに、凹版印刷による、点字マークや、券面に「(C)BANK OF KOREA」と著作権表示がされている点が特徴です。ブラックライトを照射すると、地紋があざやかな蛍光色に光りだします。

 デザインが似ているのは、たまたまですが、共に赤いハンコ(総裁之印)が押されているのは、韓国銀行券がその前身であった「朝鮮銀行券」の様式を継承しているからです。「朝鮮銀行券」は、朝鮮が日本の一員だった時代に使われていたお金です。朝鮮銀行券は日本銀行券の様式を参考にしたため、表記が漢字からハングルに変わっても、そのときの名残が今でも残っている、というわけです。

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フランス サン=テグジュぺリ 50フラン

1992年(平成4年)発行 2002年(平成14年)ユーロ導入に伴い通用停止

 外国紙幣の中では、圧倒的な人気を誇る紙幣です。童話「星の王子さま」に登場するモチーフが、デザインされていることから、「夢のあるデザインの銀行券」として、銀行券収集家以外の人からも注目されました。92年の発行当初から人気がありましたが、惜しいことに2002年のユーロ導入に伴い姿を消してしまいます。流通停止後、ユーロ圏の旧欧州紙幣収集ブームにも乗り、価格は高騰しています。通貨価値としては1000円程度ですが、インターネットオークションで取引される価格は、4000円から5000円程度と高騰しているところです。

 デザインは、「星の王子さま」の世界で彩られています。肖像と透かしには、彼の肖像。表裏すり合わせ模様には「王子さま」、透明発光インキで、「ヒツジ」、変色インキで「ぞうをのみこんだうわばみ」が描かれています。飛行機操縦士だったサン=テグジュペリを偲んで、表裏に飛行機が描かれているのも、この紙幣の特徴です。

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※参考文献:サン=テグジュペリ「星の王子さま」岩波書店 1050円 2003 

日本 聖徳太子 一次百円

昭和5年発行

聖徳太子が登場した、初めてのお札。昭和59年に福沢諭吉10000円が発行されるまで、50年余りに亘り、最高額紙幣の「顔」として活躍しました。

明治20年9月17日に「大蔵大臣請議兌換銀券人像描出ノ件」にて、銀行券に描くのにふさわしい人物が描かれました。「天皇家に忠実だった家臣」であり、かつ「昔から偉業が知られており、民衆からも慕われている人物」として、聖徳太子が「日本武尊」「武内宿祢」「藤原鎌足」「和気清麻呂」「坂上田村麻呂」「菅原道真」と一緒に選ばれました。ちなみに、坂上田村麻呂だけが一度も銀行券の肖像として登場してません。

終戦後、日本を占領統治していたGHQから、「日本郵便切手及び通貨の図案についての禁止事項に関する件」という指令が下されました。内容は、「軍国主義的」な人物の肖像、およびそれに類するデザインを追放せよ」となっており、郵便切手や紙幣から天皇家御紋章の菊章、前述した明治20年の法律で制定した人物、旧植民地域の風物のデザインなどが使用できなくなりました。

聖徳太子も追放されそうになりましたが、当時の日本銀行総裁が「太子は十七条の憲法を制定し、和をもって政治を行うよう主張した人物であり、軍国主義者どころか平和主義者の代表である※」として、GHQを説得。その結果、続投に成功したとの逸話が残っています。

後に、この一次百円と同じデザインの、2次百円、4次百円が発行されました。軍用手票のデザインとしても用いられたため、バラエティが豊富です。

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※参考文献:植村 峻 「紙幣肖像の歴史」 東京美術選書 1989 


中国 人民幣 100元

1999年版

「人民元の切り上げ」が話題になっています。要は、1ドル=8.28元に固定されている為替レートを、中国の経済成長に見合うように「元高」にして調整しようじゃないか、という話のことです。中国との貿易額が大きい、日本や米国、EUが切り上げに熱心といわれています。元高になれば、中国製品の価格が上昇し、競争力の乏しい自国産業の助けになる、と考えられているからです。但し、実際に切り上げをすると、(1)中国の景気が悪化する(2)中国に進出した自国(日米など)企業が輸出するのに不利になる(3)そもそも、固定されていた為替相場が変動すること事態がリスクだ、など懸念材料もあり、決していいこと尽くめではないのではないか、といわれています。

1999年から、毛沢東の肖像を配した統一デザインの新シリーズが発行されています。「じんみんげん」と読まれていますが、もともとは日本の「円」の旧字体「圓」と同じです。発音は「Yuan(ユアン)」と読むのですが「元」の発音も「Yuan(ユアン)」なので、「画数が少なくて、書くのが簡単」等ということもあり、一般には「元」が用いられています。ちなみに朝鮮半島のウォンももともとは「圓」です。

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日本領朝鮮 朝鮮銀行券 改造百円

JAPANESE KOREA The Bank of Chosen Note 100Yen

昭和13年 発行/ 1938

 朝鮮銀行は日本皇室と旧韓国・李王家などが、出資(お金を出し合う)して設立され、明治42年(1909)から昭和20年(1945)まで、「朝鮮銀行券」(鮮銀券)の発券業務などを行っていました。朝鮮銀行券の円は日本銀行券の円と等価交換することができ、また日本円は朝鮮で使用することが出来ました。逆に、朝鮮銀行の円は日本国内で使用できませんでした。代わりに陸続きになっている中国大陸においては、一部地域で使用することも可能でした。

 ところで、どうして対馬海峡を隔てただけの距離にあった朝鮮半島で日本銀行が発行する「日本銀行兌換券」(昭和19年からは、日本銀行券)ではなく、わざわざ新銀行まで設立して銀行券を発行しなければならなかったのでしょうか。理由には、いくつか考えられますが、中国大陸と隣接した朝鮮半島にて同じ日本銀行券を使用すると、有事の際に大陸・朝鮮における貨幣制度が混乱した場合、日本本土でも通貨価値の混乱を招く恐れがあるから、などと説明されています。つまり、中国大陸の「圓」と日本帝国の「圓」の緩衝地帯の役割が期待されていたわけです。

 その後、大日本帝国はアメリカ合衆国と戦い、敗れました。大日本帝国の領土は明治維新の時に領有していた範囲まで分割・縮小されます。そして、現行の日本国憲法の下で、日本国は新しいスタートを切りました。戦後の混乱等により、中国・韓国ではインフレが猛威を振るいました。しかし、それらの通貨と朝鮮銀行券および日本円との兌換関係は容易に切り離すことが出来たため、日本においては国内における需給の不一致によるインフレが起こるのみであり、経済に壊滅的な悪影響を及ぼすようなインフレを防止することが出来ました。

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